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第7官界彷徨

第7官界彷徨

源氏物語ー横笛

 柏木の死後、残されたその妻落葉の宮の世話をするうちに、源氏の息子の夕霧は落葉の宮に惹かれていきます。


2006年7月
 今は「横笛」
 柏木と女三の宮のあやまちは、柏木の死という哀しい結末に終わりましたが、生まれた薫は日に日にかわいく美しく成長して、女房たちに「あのこと(あやまち)はこの美しい子を世の中に出現させるために必要なことだったのだ」と思わせるほどなんです。
 リアリズムの女王、紫式部が薫のことを書くところもほんとに見事なんですよ。こどもらしく衣をだらしなくきこんでごきげんで西山の院(三の宮の父)が届けてくれたたけのこをよだれをたらしながらかじる姿も、えもいわれぬかわいさ!なんです。
「御歯の生ひ出づるに食みあてむとて、筍をつと握り持ちて、滴もよよと食ひ濡らしたまへば、・・」てな感じ。

 柏木が死んでその両親(昔の頭中将)の嘆き
 自分たちのほうが早くしんでしまいたいと、涙が涸れ時もなく過ごして「職務を立派に果たしている姿よりも、ふだんのあの子の何気ない姿が一番心に残って思い出すと哀しい」と嘆く姿に、1000年前の人の思いが伝わってきます。

 柏木が死に、その残された妻、女二の宮のもとをたずねる夕霧(源氏と葵の上の息子)は、笛の名手だった柏木の横笛を女二の宮の母から託されます。

 まじめ人間の夕霧(母葵の上に似た?)はその笛は本当は別の人に渡したかったと夢に現れた柏木の言葉に、それは薫のことではないかと思い当たるのです。

 それで、夕霧は相談をしに六条の院に源氏を訪ねます。

 六条の院には春、夏、秋、冬の御殿があり、春には紫の上と彼女が育てた明石の女御(天皇の妻)とその子ども達、夏には全部を仕切れる花散里、秋には秋好中宮、冬には明石の君(明石の女御の母)が住んでいます。
 
 明石の女御の子ども達は天皇の子です。東宮、二の宮、三の宮が今回出てきました。三の宮は後の匂宮になり、薫とともに宇治十帖の主役になります。

 三の宮は愛敬があり女泣かせの片鱗がすでに見えています。訪れた夕霧に
「三の宮は三歳で、特にかわいらしくていらっしゃる。走り出てきて、夕霧に「大将こそ、宮抱きたてまつりて、あなたへ率ておはせ」といいます。
 私をお抱き申して、あちらの母上の部屋に連れて行ってください。というのですが、幼いので自分がいつも言われているように自分に敬語を使っているのもかわいいのだそうです。

 源氏は天皇家の子ども達と薫を区別しなくては、と思うのですが、女三の宮の気持ちを推しはかり、そうするわけにもいきません。

 夕霧は薫を見てさまざまに思います。
「(薫は)走りおはしたり。二藍の直衣の限りを着て、いみじう白う光り美しきこと、皇子たちよりもこまかにをかしげにて、つぶつぶときよらなり。」
 
 

 






2006年9月
柏木が亡くなっその妻落ち葉の宮の母から託された形見の横笛を、どうしようかと、父の源氏に相談に行く堅物の夕霧。その横笛の巻は短いのでもう終わりです。

 源氏で今やっているところは、夕霧が親友の柏木(女三の宮との間に不義の子薫をもうけ、心労の余り死んでしまった、昔の頭中将の息子)の妻落葉の宮(女二の宮)をなぐさめに通っているところ。
 そこで源氏が意見をします。
 「落葉の宮が琴で「想夫恋」を弾いたりしたのは軽率な行為だ。世間によくある間違いをしないほうがいいよ」
「となむ思ふ」と(源氏が)のたまえば
 夕霧は
(さかし、人の上の御教へばかりは心強げにて、かかる好きはいでや)と思って。
「何の乱れかはべらむ。何ごとも人により、ことに従ふわざにこそはべるべかめれ。」
と言います。
 なんだい、自分のことは棚に上げてさ。というようなところですね。夕霧は母の葵の上に似てまじめで誠実な堅物なんですが、落葉の宮とはこののち、妻であり幼なじみの雲居雁と同じくらいの手厚いおつきあいを続けます。夕霧はほんとにいいやつです。

 横笛が終わると次は鈴虫です。ところで
「かあさん、あの二千円札はいったいどこへ行ってしまったんでしょうねえ。ほら、何か変わった事をして国民の気を引こうとして作った、あの使えない二千円のことですよ・・・」




2006/10月
 今日で横笛が終わり、鈴虫へ。鈴虫は例の2000円札の図柄に使われたシーンがあります。

 今日の横笛は夕霧が父の源氏に、死んだ柏木が源氏に詫びていたことを話し、柏木の妻の母御息所から渡された柏木の形見の「横笛」を、どうしたらいいか相談するところ。
 女三の宮と柏木の不義をしっている源氏と夕霧が、それを口にしないままさぐりあうところが細やかな筆致で描かれています。

 その笛を源氏は「陽成院の御笛なり。それを故式部卿の宮の・・大事にしていたものを、柏木が笛の上手ということで与えられたものだ」として、その笛を忘れ形見の薫にこそ渡すべきだと思うのです。
 ここで、実在の陽成院と作中の人物式部卿をからませて、現実味を出している紫式部のうまさ!

 横笛の終わりは、夕霧が「自分がこんなことをわざわざ申し上げたことを、父の源氏は何とお思いかと、しまった!と思ったそうです。と作者が突き放します。

 横笛は心理戦であり、グループで読み合わせして討論したら面白いところだと、先生が言ってましたが、我らにはもう残された時間がないので、知識のみ。だって、もう13年くらいやっているのに、まだ60%しか終わってないんです。やめる人はいないけど、死んじゃう人がときどきいます。

 続く鈴虫は、紫式部が横笛でリキを入れすぎて疲れたので、気を抜いたところ、というのが研究者の定説なんですって。

 出家した女三の宮に対して、源氏が真心をこめて仏間の丁度を揃えます。こまごまとした仏具一式を源氏は揃え、紫の上も美しい幡やお布施の服を用意する、蓮の花の盛りのころの事です。
 六条の院の一番いい場所に女三の宮を住まわせ、源氏と紫の上は渡殿みたいなところに住んでいます。

 手を抜いたと言われれば、そうかなあと思いますが、
「夜の御張の帷子を四面ながら上げて、後のかたに法華の曼陀羅かけたてまつりて、銀の花瓶に、高くことことしき花の色をととのえてたてまつれり」
 (女三の宮の仏間のベッドの様子)とか手に取るように色彩もきれいに細かに描写しています。
 全く大したもんだと思いますよ。次回はいよいよ2000円札の所です。


=鈴虫=
 紫式部が気をぬいて書いたといわれる「鈴虫」も、あと2回で終わります。全8巻のうちの5巻が終わり、次はもう源氏は出て来なくて、夕霧たちの時代になるんだそうです。長かったな~14年くらいかかりました。

 今日は、出家した女三の宮の持佛開眼供養に、源氏がこまごまと世話をやき、また身の回りの世話をするところ。気を抜くなんてどうしてどうして、リアリスト紫式部の筆の細やかさはその場の情景をありありと浮かびあがらせてくれます。

 堂を飾り立て、講師の僧達が来て、その場の様子はせまいところに5,60人の盛装した女房達が集まっている。
香炉などは沢山使ってけむたいほど。そこで源氏が言います。
「富士山じゃああるまいし」

 僧の法服は紫の上が用意なさった。
『綾のよそひにて、袈裟の縫ひ目まで見知る人は、世になべてならずとめでけりとや。(なかなかの出来だとほめたたえたとかいうことです)むつかしうこまかなることどもかな。(うるさくこまかい話ですこと)』
 なあんて作者が顔を出して楽しんでいます。

 女三の宮は、父前帝から、三条の屋敷を譲り受け、そこを源氏が改築して、いろいろな調度をしつらえます。
 女三の宮は
「隔てなくはちすの宿を契りても
  君が心や すまじとすらむ」
 なんて歌を詠んで
 「そんなあなたは、まだ私のことを許してはいないんでしょう?」
 とちょっと甘えてみたりしています。女三の宮は本当に今まで大変だったので、やっとやすらかな時を迎えたというところでしょうか。源氏の姫君の中で、一番好きなのは玉鬘なんですが、女三の宮のほうが好きかも、と、この頃思います。

 次回はいよいよ2000円札の場面。
 「十五夜の夕暮れに、佛の御前に宮おはして・・・」です。
 本当に、あの2000円札は何だったのでしょうね?
 






2006年
次回で鈴虫が終わりです。

 秋、女三の宮の御殿の庭の前に秋の草を植えて、野原の風情にして鈴虫を放ちました。八月十五日の夜、源氏は女三の宮のもとにゆき、虫の音を聞き、琴(源氏は琴の名手)を弾き、歌を交わします。

 ところが、当時は鈴虫って松虫のことで、松虫って鈴虫のことなんだそうで、ややこしいこと。

 それで、例の2000円札のことですがそこに書いてあるのは、
「十五夜の夕暮れに、仏の御前に宮おはして、端近うながめたまひつつ念誦したまふ。若き尼僧たち二,三人、花たてまつるとて鳴らす・・・」です。

 それで、鈴虫(今の松虫)の音は「はなやかにをかし」「心やすく、今めいたる」で、松虫(今の鈴虫)の音は「名(松)には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき」と批評しています。
 現在の鈴虫の声はりーんりーんでしたが、松虫はどう鳴くんでしょうね。

 源氏達は、そこで歌を読み交わしたりしているうちに、内裏ではお月見の宴がなぜか中止になったため、上達部たちが集まって月見の宴が開かれ、そのうちに源氏と藤壷との間の不義の子、引退して冷泉院になった冷泉帝(32歳)から手紙が来て、みんなでそちらに移って、「鈴虫の宴」と名づけて楽しんだ。というのが、今日のところ。

 ところで、この前のNHkのテレビ小説「純情きらり」で、お姉さんが学校で源氏物語を教えたことで大問題になりましたね。教育勅語で、天皇は神だと子ども達に教え込んだ時代は、天皇が不義の子だったり、浮き名を流したり、振られたりするのは絶対に許せない事だったんですね。

 紫式部は宮中に仕えていたんですから、天皇をないがしろになんかしていませんし、「とても立派!」とか「やっぱりちがう!」とか「生まれつきの品がある!」とか書いてますのにね。

 しかも、源氏物語は、罪を抱えて悩みながら、人はどう生きるかというふか~いお話なのに、きっと戦争を推進した人たちは、浮気な男の恋物語としか読めなかったんでしょうね。
 そのとき、古典文学者たちは、どう動いたのか、知りたいもんです。

 今回の教育基本法の改悪案は「教育勅語の精神を取り戻す」んだそうですけど・・・・。再び源氏物語を追放するんじゃないでしょうね。





2006年
 今日は源氏の会でした。今日で鈴虫の巻が終わりました。最後は、明石の女御は幸せだし、夕霧はいい若者に育ったし、心配だった冷泉院(源氏が義母の藤壷との間にもうけた不義の子)も、引退して院となり、ようやく安定した気分になった(父の源氏より位が高い天皇という地位にいるのがすまない気分だった)し、というところでしょうか。

 そして、冷泉院の妃になっている「秋好中宮」は、例の六条御息所の娘で、母に対する人々の噂に悩みは深いけれど、冷泉院に愛されてしあわせになっています。

 ところで、県知事がらみの汚職が各地で摘発されていますけど、清少納言も紫式部も受領階級の娘だったんですよね。それは、今で言えば県知事クラスなんだそうです。

 そしてなんとなんと彼らは赴任するために都を出るときは朝出かけるのですが、何年かして帰って来るときは、夜陰に乗じて都入りしたんだそうな。
 なぜかといえば、地方であんまり蓄財したので、ものすごい量の財産になり、人に見られるのが嫌だったからだそうです。昔も今も・・ですね。

 源氏物語で唯一源氏になびかなかった「空蝉」は、伊予の介の妻でした。そう美人でもないのに、彼女が全然なびかないので、源氏は夢中になるのですね。ある日、弟に手引きをさせて忍んでいくと、着物をぬぎすてて空蝉は逃げたあとだった・・・という話。

 そののち、夫が常陸の介となり、空蝉もともに常陸へ旅立ちます。

 源氏が須磨から帰京を許されたあと、石山寺に詣でた源氏は、常陸の介が帰ってくる一行と、国道1号線の逢坂の関ですれちがいます。
 源氏はたまらずに文を送ります。それに空蝉も歌を返します
   「逢坂の関やいかなる関なれば繁き嘆きの中を分くらん」

 つまらん話と思うでしょう?でも、じみだけど空蝉は考えながら生きる女性です。 
 教育勅語を読まされていた昔は源氏物語なんか読んでいたら非国民だったのね。物語が好きな現役&OGのお嬢さまたち、教育基本法を守って行きましょうね。



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